わが家位牌物語10(お客様から頂いたエピソード)

私の家にある位牌

以前、祖母が健在だったとき、
「今ある祖父の位牌と同じところに名前を入れてほしい」
なんて言っていたことがありました。
そして祖母が亡くなったとき、位牌を作ることになったのですが、
その時に祖父と祖母
2人の名前が入っているものを作ってもらうことにしました。
ついでにそれまで
私は位牌はお寺で用意してもらえるもだと思っていました。
四十九日法要があったら、
その時までにお寺のほうで作っておいてくれるものだと。
ですが実際には違っていました。
実際には仏壇店などで購入するということを私はその時初めて知りました。
ついでに私の家は、
お寺で紹介してもらったところに位牌を買いに行きました。
まず、お仏壇のサイズから位牌を選ぶことにしました。
とはいえ祖母の希望から、
祖父と2人で連名となっているのが良いなんて言っていたので、
それをお店の方に伝えたのを覚えています。
なので、お仏壇に入るぎりぎりのサイズで選んだのを覚えています。
また、すでに祖父の位牌がお仏壇の中にあったのですが、
その祖父のと祖母のを一緒にするということで、
その時は祖父の位牌の大きさは全く気にしなかったのを覚えています。
後は、祖父母の名前を位牌に入れてもらいました。
確か、祖父の名前が右で、祖母の名前が左に書かれていたと思います。
これに関しては、そのように決まっているのだと教えてもらった覚えがあります。
そして出来上がった位牌をお寺に持って行って、
お精抜きやお精入れをしてもらったのを覚えています。
私はただ両親について行き、そして手付きの様子を横から見ていたり、
あとはお経をあげてもらっているときに
本堂で両親と一緒に座っていただけでした。
なので細かいことまではわかりませんが、ちゃんとした手順を踏んで
祖父母の位牌を新しいものにしてもらっていたのを覚えています。
さて実際にお精入れも終わって、
実家のお仏壇に祖父母の連名の位牌を置いたのを見た私は、
なんだかちょっとうれしくなったのを覚えています。
生前、祖母が望んでいたことをやっとやってあげられた、
という感じだったからだと思います。
やはり、故人が望んでいることをしてあげるのは、
大切なことをなのではないかと私は思っているからです。
ということで、今も私の家のお仏壇には祖父母の連名の位牌が置かれています。
それを見ながら夫婦で同じ位牌
それもなかなかいいのではないかと私は思っています。
ついでに、私の母も父と同じ位牌が良いなんて言っています。
父に関しては、それについて質問をしたことがないので
どう思っている変わりません。
ですが、たぶん父も嫌がることはないと思うので、
将来的に私が位牌を準備することになったときは、
ちゃんと母の希望をかなえてあげたいなと思っています。
またその時ですが、たぶん色々とわからないことが出てくると思うので、
そんなときはお寺とか仏壇店とかでしっかりと質問をして、
満足できる形で位牌を用意してあげたいと実は考えています。

わが家位牌物語9(お客様から頂いたエピソード)

カトリックと位牌について

今回は、カトリックと位牌についてのお話をしようと思います。
私自身はカトリックです。
以前フランスを旅行したときに、カトリックの精神世界に魅せられてしまい、
それ以降フランスの教会に足繁く通い、ついには洗礼まで受けました。
そんな我が家ですが、母は昔から代々続く仏教徒です。
我が家の中で、カトリック信者は私だけということになります。
カトリック教徒だろうと仏教徒だろうと、基本的に食べるものは同じです。
肉も食べますし、酒も大いに飲みます。
互いに酒を酌み交わすこともたびたびでした。
そんなことで、普段生活している分には、全く普段と変わりないものでした。
しかし、そんな母が、ある日突然この世を去りました。
急性心不全でした。
長男である私が、基本的には葬式一切を取り仕切ることになっておりました。
私個人としては、自分の信仰がカトリックですので、
教会で葬式をやってもらおうかとも思いましたが、
そのほかの家族や親戚から、仏式で葬式はやってくれといわれました。
非常に悩むところでしたので、教会に行って相談をしました。
すると、「基本的には故人の信仰を尊重しなさい」ということでした。
よって、葬式一切は仏式で行うことにしました。
ご遺体を焼いて、骨を拾ってという風なイベントをして、
葬式は無事に終わりました。
お墓に関しては、共同墓地に埋葬することにしました。
共同墓地でしたら、基本的に信仰は問いませんので、
私と母が一緒に入っても文句は言われません。
仏教の場合には、故人の位牌というものがあります。
この位牌を仏壇に飾るということです。
しかし、カトリックで位牌があるかどうかというのは不明です。
もし私が死んだ場合、残された家族が混乱してはいけないと思い、
教会で聞いてみました。
すると「カトリックには位牌はない」と言われました。
カトリックでも位牌のようなものを作る人はいるそうです。
しかしそれに宗教的な意味はなく、記念碑的なものだそうです。
しかし、できることならば私も位牌を作ってもらいたいものです。
私がこの世で生きていたという「記念碑」として。
残された家族に位牌探しで負担をかけてはいけないと思い、
位牌探しもしてみました。
教会で聞いてみると、カトリックで位牌を作っているところはないと言われました。
では、その記念碑として位牌を作っているところはどういったところなのでしょうか。
試しに仏壇屋さんに行ってみました。
おそらくダメだろうと思って聞いてみると「うちで作ってますよ」という答えでした。
「でも仏壇屋さんですよね」と聞きました。
「仏壇屋とは言っても、うち自身が特にどこかの宗教に属しているわけではない」
という答えでした。
つまり、カトリックだろうとイスラム教であろうと、
要望さえあれば位牌は作るということでした。
ただしデザインは仏教であるような、
黒いものに金色の文字で書くというものだそうです。
それでもカトリックでも位牌が持てるということは大きな収穫でした。

わが家位牌物語8(お客様から頂いたエピソード)

祖父と祖母の位牌を作る

我が家は、祖父母と一緒に生活をしていたのですが、
二人ともとても仲が良くて、常に一緒に行動をしていた夫婦でした。
飲食店を二人で経営をしていて、24時間同じときを過ごしていたのですが、
祖母が病気で亡くなってしまたのです。
その時、祖父はとても落ち込んでしまって、
周囲もどうすればよいのかわからないくらいの落ち込みようで、
私自身も祖父をただ励ますことしかできませんでした。
祖母が亡くなって、しばらくすると位牌を作ることになったので、
父が知り合いの仏具店に依頼をして作成をしていただいたのです。
戒名を刻印していただいて、
宗派などに基づいたものを作成していただくことができたので、
とても立派な位牌を作ることができました。
数年後、今度は祖父が体調を壊してしまったのです。
祖父は病院にいるときも、祖母の写真を持っていくほど、
祖母が亡くなってしまっても
ずっと祖母のことを思っていたほどの方だったのです。
そして、祖父も亡くなってしまい、
葬儀が終了した後祖父の位牌を作ることになりました。
元々あった祖母の位牌と別に祖父の位牌を作ることを予定していたのです。
祖母と同じ位牌を作ってくださった仏具店に依頼をしたのですが、
店長さんのアドバイスによって、祖父と祖母の位牌を
同じ位牌にしてあげることを提案していただきました。
仏具店の店長さんは、祖父のことを良く知って下さっている方で、
生前の祖父がどれくらい祖母のことを思っていたのか
ということを感じていたそうです。
私達家族も、その店長さんのお話を聞いて、
改めて祖父の祖母への思いを実感することができたので、
二人別々の位牌を作るよりも、死後も一緒に寄り添っているかのように
一つの位牌に二人の戒名を刻印することにしました。
刻印方法も、様々な方法があるので、店長さんと相談をしたのです。
一般的には主流になっている方法は、機械彫りということですが、
こだわりをもって位牌を作りたいと思っていたので、
仏具店の店長さんの取引先の
ベテラン職人に手彫りをしていただくことができました。
完成した位牌も手彫りならではの良いものになっていてかなり、
すばらしい位牌を作っていただくことができたので、仏壇に配置しても、
まるで二人が見守っているかのような雰囲気を感じることができるのです。
位牌というのは、故人ずつに作成をすることもできるのですが、
長年連れ添った夫婦一緒に位牌を作るということも
可能だということを祖父母を通じて知ることができました。
私も、自分が亡くなってしまった時には、
大切な夫と一緒の位牌を作ることができると
とても素敵な夫婦の絆を感じられる位牌を作ることができるだと思います。
こだわりを見せることができる位牌のデザインや戒名などの刻印方法もあるので、
亡くなられた故人の思いを尊重することができるような位牌作成を検討すると、
より残された家族の深い思いを託した位牌を作っていくことができるでしょう。

わが家位牌物語7(お客様から頂いたエピソード)

見て回って手間暇かけた初のお位牌注文体験記

故人の位牌を作ることになり、七転八倒の日々を送ったことがあります。
お位牌を作ってもらうといっても、冠婚葬祭に疎い人にとって、
お位牌にはどんな種類があり、
予算や形状そしてなによりどこで頼めばよいのかといった
情報はまったくわかりません。
しかも我が家には仏壇はあってもお位牌はなかったため、
何から何までが初めての体験です。
まずはインターネットで検索すれば、どんなお位牌が売られているのか
おおざっぱな感触をつかめると思い、さっそくパソコンで調べてみました。
すると、仏壇・仏具店がずらりと検索結果に表示され圧倒されました。
仏壇や仏具、そして位牌も今では通販で簡単に注文できることを知り、
時代の流れを感じました。
手当たり次第、仏具関連のネットショップにアクセスし、
お位牌の品揃えを調べてみました。
金箔で彩ったものから木の素材を前面に出したシンプルなもの、
漆塗りの高級品など、1万円から何万もするものと
おおざっぱな値段も知ることができました。
そして、国産と中国産では価格に大きな差があることもわかりました。
ネット通販で注文手続きをしても
実際に手で触ったときの感触がわからないため、
やはり店舗に足を運んで実物を確かめなければ購入に踏み切れません。
そこで、直接店に出向いて実物を確かめることにしました。
ところが、仏具はどこに行けば実物を見ることができるかまったくわからず、
あれこれ考え歩いていました。
きっと老舗のデパートに行けば仏具売り場はあるだろうと考え、
さっそく都内の有名百貨店に行ってみました。
しかし思いのほか品数が少なく、
その場で決めるには至りませんでした。
他の百貨店へ行っても同じだろうと思い、別の手段を考えました。
たしか上野から浅草にかけては仏具屋が多いと聞いたことがあったので、
その記憶を頼りに上野へ向かいました。
上野の浅草へ向かう通りを歩くと、
まさかこんなにと思うほどたくさんの仏具店が並んでいました。
これなら最初から上野界隈に行けばよかったと思ったほどです。
通りを歩けば仏具店が立て続けに並んでおり、
これならいろいろ品定めができるだろうと店内を見て回りました。
ネットショップで見た写真からはサイズがわからず重さも体感できないので、
やはり店舗に足を運んで正解でした。
念のため、仏壇の高さを調べておいたので最適なサイズも目星がつき、
お手頃なものと高級品の出来映えの違いも目で見てなるほどと理解できました。
驚いたのは、中国製と国内製のちがいには遜色が全くなく、
国内製品を意識しなければ中国製の位牌でも十分だと感じました。
値段はどこもさほど違いはなかったので、
印象のよい仏具店で注文手続きをしました。
戒名を塗りにするか彫刻にするかなど、
こまかい製作の打ち合わせをして支払いを済ませました。
数日後、再び店舗に出向き、戒名の確認をして受け渡しが完了しました。
家族に見せると満足そうに手にとって仏壇に飾り、供養を済ませました。
下調べから完成まで不慣れな2週間、
わからないことだらけの七転八倒のお位牌購入体験をしました。
一生のうちでめったにない貴重な出来事でした。

わが家位牌物語6(お客様から頂いたエピソード)

我が家の位牌のストーリー

我が家はとても古い家柄で、何代続いているかわからないほどです。
ある時私がまだ幼少の頃、父が何代続いているか調べて、
家系図を作ろうと言い出しました。
ちょっとした興味本位で始まったことなのですが、
それが実はとても大変なことでした。
我が家はお寺の檀家になっているので、そこにいけば檀家の名簿がもらえて、
それにより最初の起源が分かると思ったのです。
しかし、お寺は数十年前に火事にあっていて、
その時に我が家の檀家の名簿が焼けて
なくなってしまったことが分かりました。
我が家が何代続いているのかが分からなくなってしまって、
父はかなり落ち込んでいましたが、
その時位牌を調べれば分かるだろうとご住職から言われました。
それで、家にある位牌を全て調べてみようとしましたが、
古いものはあまりに古くて、
位牌自体が真っ黒で字がほとんど読めませんでした。
結局、父の思いつきで始まったこの行為は、お寺のご住職にもお願いして
古いものを含む全ての位牌を読んでもらうという
とても重労働な仕事になってしまいました。
結局、一番初めの位牌は江戸末期くらいに作られたことがわかりました。
でもその後、何かの本で読んだのですが、
そもそも庶民が位牌を作ることになったのは、江戸時代頃からだそうで、
結局、位牌によって我が家の最初の起源は分からなかったのです。
でも、江戸時代には我が家の先祖がいたということが分かって、
父は嬉しそうでした。
その後、大量に出て来た位牌の置き場がなくて、困っていたのですが、
ご住職のアイデアで、江戸時代から昭和初期までのかなり昔のご先祖の位牌を
1枚1枚小さなカード風の板に書き直して、
それを1つの大きな位牌の中に仕舞ってもらいました。
今もそれは仏壇に飾っているのですが、
毎年、お盆の前になると家族総出で位牌の掃除をすることになり、
それがとても大変なのです。
大きな位牌の中のカード式位牌も全て出して拭き掃除、
終わったら順番を間違えないように入れて戻さなければなりません。
小さい頃、とても面倒で難しい仕事だったので、
よく間違えて親や祖父母に怒られた記憶があります。
それだけでなく、昭和中期から現在までで単独での位牌の数も
ものすごく多く、それを掃除するだけでも数日掛かってしまうほどでした。
特に古い位牌などは、1日天日干しをしたりしていたので、
他の家からすれば変わった風景に写っていたかもしれません。
そろそろ、お寺と相談して昭和中期から末期頃の位牌も、
カード式にしてもらって大きな位牌の中に詰めようかという話も出ています。
そうすれば、少しは日頃の掃除や管理も楽になります。
今は私の親が中心となって位牌を守っていっていますが、
私の代になったらそれをちゃんと引き継げるのかは、少し不安です。
でも、父が調べてくれたように、
位牌で江戸時代までご先祖がいることが分かったのは、
とても誇らしいですし、いつか私も死んで位牌になったら、
私の子孫が私の位牌を拭いてくれるのかなと思うと、
自分もご先祖の位牌を大事にして、
子や孫の世代にそれを教えていきたいと思います。

わが家位牌物語5(お客様から頂いたエピソード)

私に家における位牌にまつわるエピソードについて、書いてみますね

私の家の流派は浄土宗であり、位牌はいわゆる野位牌ではありません。
まず祖母の場合は内位牌であり、長い戒名をつけてもらって、
立派な漆塗りのものが仏壇にあります。
私は戒名の知識が無いので、どのような意味でつけたのかよく分かりませんが、
ただ名前の漢字が一文字入っており、
それで何時でも祖母のことを思い出すことができます。
祖父のほうは私が生まれる前に亡くなっているので、
生前の主ではまったくといっていいほどありませんが、
両親から聞いているやさしい性格と、
祖母と仲が良かったというエピソードから、
仏壇に二つ位牌が並んでいるのを見て、
仏様になってずっと仲が良いと思わせてくれます。
そして、他にもエピソードがあります。
それは、私の兄の奥さんが3つ子を産んだのですが、
三人目の赤ちゃんにうまく栄養が回っていなかったようで、
生まれてから3時間で亡くなってしまいました。
ただ、私も知識が無くて知らなかったのですが、
流産のように子供が生まれる前に亡くなってしまった場合とかは、
葬式を挙げたりする事も無いのですが、
3時間でも生まれてこの世にいた時間があった場合は、
しっかりと葬式をしたり戒名をつけたり、位牌を用意したりするんですよね。
姪もその例に漏れず、しっかりと葬式を挙げて、
戒名をつけて位牌があります。
これの場合は、兄夫婦は共働きで忙しいですし、
しっかりと面倒を見て欲しいというのもあり、寺位牌としました。
本山に預けて、安置してもらったのですが、
入って正面にある大きな仏像の裏に、
扉のようなものを開けて入れられるようになっており、
49日が終わったあとにそこに入れていました。
実はこのように祖母のレベルではなく、
姪というかなり近い血縁が亡くなり、
身近で色々と準備をしている兄を見て仏教だとは理解していましたが、
初めて浄土宗というのを知ったくらいだったので、
このように位牌を入れるとかの光景も、もちろん始めてみる事が出来ました。
人間は、死んでしまうと肉体は滅びますが、49日間はこの世にいるとか、
位牌を飾って個人を思い出したり、
生前の思い出が無い人に対して思いをはせるなど、
宗教の教えによって様々な概念を知ることが出来て、
いたずらに悲しむ事も無いなと思わされますね。
よくオリンピックの選手を応援している家族などの身内が、
亡くなった人の写真や位牌を持って晴れ姿を身に来たりしていますよね。
ああいった姿を見ると、やはり肉体はなくなっても、
魂はしっかりと見てくれているのだなと再認識させられます。
我が家でも、父が何かの機会で
祖父の位牌を持ってきているのを見た事がありますし、
祖母が祖父に守られたというエピソードがあり、
科学で割り切れないものって本当にこのように存在するんだなと思わされますね。
ちなみに、位牌には夫婦の戒名を併記したものも存在するようですね。
私自身、亡くなる時には、
祖母と祖父にも負けないくらい今の妻と仲良くしたいので、
そのような形にしたいものです。

わが家位牌物語4(お客様から頂いたエピソード)

先祖代々各霊位の位牌をまつりました

結婚してからしばらく同居していましたが、
義母とうまくいかずに同居を解消しました。
主人は長男だったので、
義実家の仏壇や位牌についても、かなり悩んでいましたが、
義実家の位牌は、数年前に亡くなった義父さんのものだけだったので、
お寺などと相談し、自分たちも位牌をまつることにしました。
その位牌は、先祖代々各霊位という位牌です。
お寺の住職さんに聞くと、義父さんの位牌の前に、
その先祖代々の位牌は必要なんだとか…
先祖代々の位牌ならば長男の主人が、義母とは別におまつりしても
何も問題がなく、それどころかきちんと先祖代々から供養するということは、
喜ばしいことだと教えていただいたので主人と私の方で、
先祖代々の方を供養する位牌を作りました。
ここで気を付けないといけないのが、位牌の大きさでした。
義父さんよりも先祖代々の方が少しでも大きくないといけないということで、
少し大きめの位牌でお願いしました。
そして自宅には大きな仏壇もなかったので、
小さいですがお寺から逗子を購入し、そのなかに位牌をまつりました。
自宅にそれまでなかった位牌をまつり始めたことで、
朝の作業として、ご飯をお供えしたりすることが増えましたが、
それほど面倒ではありませんでした。
無理に毎日、お供えしなくても
できない時はご飯の代わりにおせんべいなどの米菓子を
お供えしとけばいいんだとお寺の住職さんに
教えてもらえていたからかもしれません。
それに、自分の実家でも毎朝、
祖母や母が同じようにしていたのを見ていたので、
意外と普通の感覚で受け入れることができました。
娘たちも小さい年齢でしたので、すんなり受け入れてくれました。
小さいながらも、仏壇を前にナムナムと手を合わせるときもあり、
教育的にもいいことだなと感じました。
自宅に、小さいながらも仏壇がわりの逗子があり、
位牌がまつってあると、なんだか不思議と安心感というか、
守られている感がありました。
ただ位牌を置いただけなのに、本当に不思議でした。
家の中が引き締まったようにも感じました。
お寺でも仏具店でも言われたんですが、今時このように
あらためて位牌をまつるのはいいことだし珍しい。
30代の主人が位牌を新たに作り、
自宅にまつろうとすることはとてもいいことだということでした。
確かに、友人宅にお邪魔しても、
そこが親世代と同居しているのではなければ、
仏壇がおいてあることは滅多にありません。
そこから考えてもやはり珍しいのはわかります。
今は、引っ越しのバタバタや位牌を作ったのを知らない義母さんの手前、
自宅でまつることが難しいので、お寺で逗子ごと預かっていただいています。
うるう年の時には、仏壇を動かすなどしてはいけないことらしいので、
次の春の彼岸が終わってから、お寺より逗子を引き取り、
自宅に置いて先祖代々のお位牌をおまつりするつもりです。
一応、仏壇用のスペースはありますが、何も置かれていないために、
逗子を乗せるタンスのようなものも改めて購入しなければいけませんが、
春に向けて少しずつ準備していきたいと思います。

わが家位牌物語3(お客様から頂いたエピソード)

宗教とお位牌の関係。私の考え方。

私たちの生活を見守ってくれているご先祖様が安置されている場所。
それはお仏壇ですね。
そのお仏壇の中に神々しく鎮座しているお位牌。
肉体を持たないご先祖様の魂が込められていると言われているお位牌ですが、
そのお位牌を巡って我が家ではかつて
ちょっとした騒動が起きたことがあります。
それでは、そのお位牌を巡る騒動についてお話させて頂くことにしましょう。
海外の方々から見た私たち日本人は、
「宗教を持たない民族」として認識される場合が多いのだそうです。
かつて私には、アメリカ人の友人が数人いました。
彼らは例外なくキリスト教徒でしたが、
その友人の一人にこんな質問をされたことがあります。
「あなたの宗教は何ですか?」と。
正直、この質問には面喰ってしまいました。
なぜなら、私が生まれ育った家庭では
「うちは○○宗派」というものが確立されていなかったからなんですね。
特にどこかのお寺の檀家というわけでもなく、
墓地も「宗派はどこでも受け入れます」といった具合だったため、
宗派を意識することはまずありませんでした。
そこで私が出したアメリカ人の友人に対する答えは、
「日本には様々な宗教が存在していますが、
私は特にこだわりを持っていません。
ですが、供養を行って頂く僧侶の力をお借りして、
お位牌というものにご先祖の魂を入れて頂き、私たちはそのお位牌に向かって
日々挨拶を行っているんですよ。」というものでした。
そして、その友人の反応はと言うと・・・驚きました。
実はキリスト教徒の方の中にもお位牌(のようなもの)を
持つ方がいらっしゃるのだそうです。
それをよく知っていた友人は、
私がお位牌に向かって手を合わせるシーンを想像したのでしょう
自分が聖母マリア様の像に向かってお祈りをするのと
同じという解釈をしたのです。
さて話が随分脱線してしまいましたが、
お位牌を巡る騒動についての本題に入らせて頂きましょう。
かつて私は、宗教家である夫とともに生活をしていました。
結婚当初、私がご先祖様のお位牌とともに持参したお仏壇と、
夫の宗教のご神体が祭られているお仏壇の2つのお仏壇が
家の中に存在していました。
夫の宗教では、ご先祖様のお位牌の存在はありません。
ところが年月の経過とともに、双方のお仏壇の老朽化が目立ち、
新たなお仏壇を購入することになりました。
そこで持ちあがった騒動とは?
もうお分かりですよね?
お位牌を持たない夫の宗教の考え方と、
お位牌をお祀りしたい私の考え方が真っ向から衝突し、
話し合いの結果、私のご先祖様のお位牌はお仏壇の隅の
殆ど目につかない場所へ安置されることになりました。
さらに年月が経過し、諸事情により夫との離婚という道を選んだ私。
ここで誤解のなきようお話をしておきますが、
お位牌云々が直接の離婚原因となったわけではありません。
ですが、私は今・・・離婚後に購入したお仏壇に
ご先祖様のお位牌をお祀りし、供養を続けています。
今まで隅の方に追いやってしまってすみませんでした、という思いとともに。
宗教やお位牌に関する考え方や意見は人それぞれでしょう。
ですが私の場合に於いては、お位牌は
「自分の目の見えるところで見守ってくれているご先祖様」の姿に他なりません。
以上、私のお位牌に関する考え方とお位牌のあり方についての意見、
そしてお位牌を巡る騒動の体験をお話させて頂きました。

わが家位牌物語2(お客様から頂いたエピソード)

我が家のご位牌に孫娘が語りかけています

我が家に起こった不思議な出来事のお話、実話です。
それは今年3月の土曜日の夕食前。
妻59歳、孫娘4歳の2人が同時に体験したことです。
いつものように孫娘が遊びに来ていて、
その日は室内の鬼ごっこでした。
その仏壇が置いてある部屋は、居間のとなりにあるのですが、
突然「リーン」と高い音が聞こえたのです。
すぐに居間を出て「おリンを遊びで鳴らしたらいかんよ。」
と注意しようとしました。
ところが、12畳部屋の端にある仏壇の前でなく、
反対の端っこで妻と孫がポカンとして座っています。
かなり離れているのです。
「どうしたの。」と聞くと、
妻が「おリンが勝手に鳴ったの。」と言います。
うそをついている様子ではなく、また怖いというのでなく、
ただ何が起こったのかわからないようです。
「○○ちゃんがよく拝んでくれるからひいおじいちゃんが喜んで
ご褒美に鬼ごっこに参加したんだよ。」と孫に言い聞かせました。
そう、一番新しくて中央にある位牌は私の父のものです。
さて、孫に「ご褒美」と言ったのもそれだけの理由があります。
孫はわれわれの真似をして来るたびに毎回、
仏壇の前に座って手を合わせていました。
お供えを飾るのも積極的です。
だから、○○居士と書いてある我が家のご位牌も
「なんて書いてあるの。」と興味津々でした。
また、「ママのパパがおじいちゃんで、おじいちゃんのパパが○○さん。」
など、家系をたどって聞かせるのです。
先祖を大事にしているような話し方をされるのはうれしいものです。
私が死んでも大事に拝んでもらえそうだなんて思ったりします。
「たぶん夫婦のうち私のほうが仏壇に並ぶ5つ目の位牌になるんではないかな。」
と妻に語ったりもしていました。
と言っても、そんなに信心深いとは言えない私たち夫婦と娘なのに、
孫だけはよく仏間で遊んでいます。
広い部屋ということもありますが、
並ぶご位牌を友達の数に入れているのかもしれません。
位牌の1つがひとりの人格と認めているのでしょう。
それは一人っ子である孫娘にとって社会的な勉強にもなっているのだと思います。
いつまで押し付けでなく仏壇前に座ってもらえるかなと少しハラハラもします。
できるならば孫が結婚するまで生きたいと思うのですが
男性平均寿命を越すので、私としては父と同じようにあの世からリンを鳴らすなど
何か意思表示でもしようかなと考えたりします。
それにしても不思議なことでした。
常識的に考えて、天井から虫か木くずでも落ちて鳴ったのかと思い、
念のためすぐに妻と二人して目で見たのですがわかりませんでした。
その時、違う階に居た母にも娘夫婦にも言わないことにしたのは、
信じてもらえないと思ったからです。
孫娘にもしっかり口止めして、このことは3人だけの秘密にしました。
どうやら知られていないようです。
もちろん、信じてもらえるならば知られても良いのですが、
うそつきと思われてもいけません。
そして現在も孫娘は、相変わらず遊びに来ると一番に仏壇前に座っては、
ご位牌に語りかけています。

わが家位牌物語1(お客様から頂いたエピソード)

位牌をみると思いだすこと

母が亡くなったのは今から3年前のことです。
45歳でがんを発症した母は、ある程度早期で発見できたということで、
がんを摘出し、抗がん剤治療を受けていましたが、数年前に再発し、
今度は手術が不可能との診察を受けました。
その後も、気丈に抗がん剤治療を続け、日々悪化する病状と闘いながら、
やりたいことがたくさんあるからと、いろんなところに出かけるなど、
活動的に日々を過ごしていました。
そんな母でしたが、やはり忍び寄る病魔には勝てず、55歳という若さで逝ってしまったのです。
それから、バタバタとお葬式を済ませ、母が亡くなった実感もないまま、
四十九日を迎える、という時に、位牌を作らなくてはいけないね、という話になりました。
位牌については私の知識も乏しく、どういったものがよいのかもわからず、
とりあえず仏壇仏具店にうかがうことにしました。
そこで聞いた話だと、位牌は基本的にはご先祖様より背の高いものを選ばない、ということでした。
しかし、我が家は代々続く家だったので、位牌もたくさんあり、
昔の位牌は比較的背の低いものが多かったのです。
それもそのはず、今でこそ立派な位牌を買うことができますが、
我が家も昔は貧しい時代を過ごしたこともあったそうで、
そうそう立派な位牌を購入することはできなかったのでしょう。
散々迷った結果、緑のラインの入ったものを選びました。
そして、戒名を入れる、という段になって、ひとつの迷いが生じました。
それは、父と母の位牌を一つにするか、母は母で位牌を作るか、ということです。
私は、父がこれまで母に苦労をかけてきたことを十分知っていたので、
位牌を一つにすることにはかなり抵抗がありました。
というのも、父は結婚当初から浮気をしたり、母に暴力的だったりしたことを知っていたからです。
母と父を同じ位牌に入れることは、母も望んでいないのではないか、とさえ思いました。
しかし父は、母と同じ位牌にすることを強く望んだのです。
葬儀の場でも、ひっそり涙を流していた父を見ていたので、
やはり母がいなくなってはじめて、その存在の大きさに気づいたのだと思い、
位牌を一つにすることに同意したのです。
ところが父は、母の死後1年たつころに、友人の紹介だと言って、ある女性とお付き合いを始めました。
結局、そのお付き合いは短命で終わったのですが、2年目にまた一人、交際を始めたのです。
最終的にはその女性と3年を過ぎたころ、結婚する運びとなりました。
母は生前「お父さんはきっと、一人で生きていくことができない人だから、
再婚すると言ったら反対しないようにね。それが、あなたのためだからね。」と頻繁に言っていました。
それもあったので、私も特に反対はしませんでした。
ただ、心の中にずっと残っているのは、母の位牌のことです。
この先、父が新しい女性と添い遂げたら、あの母の位牌はどうなってしまうのだろう。
片方が空いたまま、一人さみしいままになってしまうのかしら。
そんな風に思うと、心苦しい気持ちになります。
母の位牌を見つめながら、今も答えが出せないでいます。

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仏縁堂オリジナル蒔絵位牌

モダン位牌銀水「蝶」モダン位牌銀水「梅」

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位牌
国産会津塗り位牌の案内

お位牌は国産の方は是非会津塗りをご利用ください。

ご相談・お問合わせ

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主な宗派

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曹洞宗 真言宗 天台宗
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